駒津の記録

僕の考えていたことや経験したことを書きます 

この先に明るいものがあるとしても諦めてしまう

結局去年の振り返りの後半を書くこともなく、2023年も夏になりました

僕は相変わらずのフリーターですが、ひとより笑顔は多く過ごしているのではないか、と思っています

それはそうとして、この先の不安、これまでの後悔、失敗、反省 など、負の感情に包まれる(≒現実を直視すること)もありますが、大抵コロッと他のことを考えて切り替えて生きていけている

切り替えがうまいと他人には言っているが、実際は現実を直視できていないだけなんだと思う

自分一人ではどうにもできないこと、もう取り返しのつかない失敗、そんな後ろめたさを少し多めに抱えてきたから、今日も生きてて恥ずかしいなんて思いながら生きている

他人、友人とわかりあうのを諦めている、豊かな暮らしも諦めている、何か成長することを諦めている、新しいことに取り組むのも諦めている、俗にいうしっかりとした一般家庭を築くことも諦めている(これに関してはもともとその気がなかったのかもしれない)

 

心の内をぶつけ合って話し合うことを嫌い、ふわふわへらへらと笑いながら回りのひととは見えない一線をひいて接している気がする

 

他人を否定しないことでたくさんの人付き合いはあるが、否定しないことに漬け込まれて面倒な役割やイベントに巻き込まれる事も多々あり、それにたいして流されるままなのも全く時間の無駄ではあると思っているが、縁切りをした際のゴタゴタなんかを想像するとそれも諦めてしまう

 

他人のそういう人間関係の相談には、それこそ山中で熊に会ったときのように、いきなり背を向けて走り去るのではなく空いての方を向きながらジリジリと距離を取ると良い、とアドバイスこそできるものの自分でそれができたことは滅多にない

 

光があるから影があるとはよくいったもので、この先僕がもっと幸せになったとして、先の未来が明るくなったとしたら、過去の影がさらに強くなってぼくの足に先に進むなと絡み付いてくるだろう

それも怖いから、ぼくは今日もぼんやりとへらへらしている

2023/3/26 居酒屋卒業

もうすぐ、3/31の出勤を以て、居酒屋のバイトを止める

大学入学直前に入ったので、ちょうど丸7年働いたことになる

色々な経験をした、こんなに人と話せるようになったのも、お酒を飲みながら仕事できるようになったのも、ここのおかげだと思う

律儀にメモしていたのだが、累計で100人以上のの友人知人がお店ににてくれた(大学の演劇の打ち上げに使ったのが大きな要因だが)

だけどそろそろ新しいことをしたい、と言えば前向きに聞こえるが実際やめるきっかけとしては賃金と回りのメンツが渋いからで、同じ月にもう二人卒業するので来月から当店はろくにまわらないとも思うが、まあがんばって欲しい

 

高架下の高円寺店が閉店して一年程経った、店長との出会いは午前3時、ほろ酔いから騙されてタクシーからおろされて一時間半ほど歩いて、そういえばここらへんにバイトの支店があるらしいな、と頭に過り、半閉まりのシャッターをこじ開けて挨拶に向かったところから始まったのだと思う

「酒のせいにしない」が僕の信条だが、あの瞬間から僕の大学中退は決まっていたのかもしれない

 

沢山の楽しい記憶、都合の悪い思い出の方が多いかもしれないけど、それでも高円寺では沢山の人と楽しい時間が過ごせたと思う、今更ながら、これまで僕のバイト先に来てくれた人に感謝します、本当に皆来てくれて嬉しかったです、ありがとうございます。

細かいエピソードは全部身内ネタになっちゃう(これを読んでいる人にはだいたい伝わるだろうが)ので、今回は書かないことにする、書きはじめるときりがなくなる、そのくらい沢山の思い出が詰まっているんです

 

でも今の環境では頑張れないな、と

7年働いて最低賃金以下で新人に優しく教えれるのは俺だけで■■■■!? 公にはできないけどだめです、本当にだめです。

 

これから何をしようかとかは全くなんにも決まってないけど、とりあえず四月はゆっくりしようかなと、ほとんどの週末を居酒屋に注いで来たので、週末遊べる人は連絡をください

 

それでも、新店出して、高円寺の元店長がまたそこに立つようなら、喜んで駆けつけたいなとは思ってしまっている、それまでに就職してェ~!

今はストレスのたまる職場かもしれないけど、それを差し引いても、後悔をしたことは一度もないので、多分、人足りなければいると思う、早く新人採用してくれ 頑張れよ

 

 

2022年の振り返り 1-6月と不登校時代の話

すっかり外も寒くなりまして

というような挨拶もうまく作れないまま今年も終わりを迎えようとしています

年末ですし、この一年何があったかな、と振り返ってみることにします

 

 1月は、新しいバイトを初めた、ケムリを作る仕事だ。同時知りあいたてだった今の彼女からのプレゼントがきっかけで、すっかり長い付き合いになった先輩に声を書けて頂いて、人との繋がりのおかげで新しい経験をさせて貰った。

僕がこの仕事をしていていいのかな という葛藤は相変わらず頭の片隅に少しだけあるが、それでも楽しく働かせて貰っている。

1/28に純正九蓮宝燈和了った それ以降麻雀の成績は順調に落ちているが、人によっては人生の目標であるこれを達成したのは個人的に誇りであった

 

2月 確か東京にしては雪の激しい日だった 去年自殺を止めた後輩が、ボダを発動して胸ぐらを捕まれたりビンタされたりした、その後いつもの通りに裸足で飛び出していったが、娘(と呼んでいる)が回収した、残雪のせいで帰りのタクシーの手配ができずなかなか帰らないのにやきもきしたのを覚えている。

雨に歌えばの舞台を観に行った、舞台、それもミュージカルを観たのは大学で演劇をやっていたときぶりで、とても楽しかった。

 

3月 平沢進のライブを観に行った、母と。

大きなホールで豆粒みたいだったが、平沢進は実物を拝むことができた。

好きなシーシャ屋の店長が店を辞めるということで、最終日に駆けつけた、オープン初日その店は、身内を除けば僕が一番客で、それがとても誇りというかマウントポイントで、店長さんにもよくしてもらい、とても居心地の良いところだった。

 

4月はアーティズムに行った 様々なファッションに身を包んだヒトたちを見たり、素敵な雑貨を漁ったり、久しぶりにアングラ界隈を見れた。僕がいたころは白塗りが流行っていたが今はサイバーパンクが流行っているみたいだった。

 

5月 25歳になってしまった  このブログを書き始めたのが19.20の頃だから、時が経つのは早いなあと思った。

密度で言えば誰にも負けない人生だが、質でいえばかなり愚かな人生なのかもしれないが、それでもなんとかここまで生きてこれた。

誕生月ということで、神田のイベントバーで1日バーテンをやることにした、一人ではお客さんが集まるか不安だったので、フォロワーの多い友人に手伝って貰ったが、結果としては僕の友人、それもリアルの友人が大半で満席になった。たくさんの人と出会ってきて良かった。

あの時来てくれた人達はこれからも大切にしていきたい。

勿論来れなかった人も大切にする。

6月 小学生時代から好きだったアーティストの実質(再)解散ライブがあった。

ブリーフ&トランクスというアーティスト

下ネタや若干不謹慎な曲もあったりするが、メロディーはとてもいいので是非聞いてほしい、ネットで有名なのはコンビニや小フーガハゲ単調(俗称はげの歌)だろうか。

 

なぜ僕がこのアーティストを好きになったかというと小学生時代まで遡ることになる

 

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当時の僕は、割といい子であり、学校の掃除などもしっかりやったり、ルールは守る、というのが当たり前だと思っていた。

いま思えばささいなことだが、授業中、隣の子がずっと会話をしているのでそれを何度も注意すると、その注意の声が大きく逆に怒られたり、掃除の時間の開始、終了の挨拶をしないで先にみんな帰ってしまい、挨拶をしてないんだから終わっていないじゃないかと一人意地をはって掃除を続けたりした。その後の通知表に、とても掃除熱心と書かれたことを覚えている。

そうじゃないんだよ。

と、自分が正しいはずなのに、どうしてわかってくれないんだろう、と、宿題はしないのにテストは漢字以外はだいたいできたし、そういうまわりへの鬱憤、見下しから不登校気味になっていた。

そんな時、たまたま学校に行った日にクラスメートが歌っていたのがブリーフ&トランクスで、なんだこの曲、面白いな!と思って帰ってから色々な曲を漁って、そうして、ああ、真面目すぎるのも良くないな(宿題はしていないが)、こうして楽しいことを見つけていけばいいんだな、と思うようになってから、また学校に通えるようになった。

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というような、ここから更にデュエットの内のハモりの方と出会ったエピソード等もあるが、話すと長くなるので今回はここまで。

月の休みは3.4日、2連休なんて2.3月に一度あればいい みたいな日々だったので、どうしても昔話をしないとあっという間に12月まで振り返れてしまうからネ。

今年の後半の振り返りは大晦日ギリギリに書けるといいな、何てったって年越しまであと24日といっても、何が起きるかわかったものじゃないですからね。

皆さんも、せめて明日からでも何かいい出来事が起きるように願っています。

 

 

四十九日禁煙

三日程前に訃報が届いた

高円寺の高架下で働いていた時の常連さんが亡くなったらしい

そのおじいさんは、週に3-4日、あんずという可愛い小さな犬を連れてきて、来る度にバイトと店長に2-3杯くれて、慎ましくて、なので僕たちもお店に来てくれる度に小さなつまみとあんず用に茹でた魚をあげたりして、いつも一緒に飲んでいた。

2年前ほどから身体を悪くして、暫く音信不通になっていたが一時期回復して手押し車に頼りながらもまた通ってくれていた

高円寺店が閉まってからも僕は近くのお店を手伝ったり、そのおじいさんの家の手伝いをすることがあったりで個人的には繋がりがあった

家の机には無数の精力剤が転がっていたのを覚えている

まあそんな紹介をしてももう亡くなってしまったし、じゃあなんでこんな文章を書いているのかというと、当時働いていたとき、一つ言われた言葉をよく覚えていたからだ

 

いつものように暇な店内で、一緒にお酒を飲んでいると「○○ちゃん、タバコなんてやめた方がいいヨ」と言われた

決して嫌みみたいな言い方でもないし、普段ひとになにかアドバイスだったり強制したりということもない人からの言葉だったのでよく覚えている

その言葉を、おじいさんが煙草を吸いながら言っていたことも覚えている

 

「そうですよね、こんなのさっさとやめちゃいたいです」

そう言いながら僕は煙草に火をつけていた

 

でも昨日訃報を聞いて当時の僕はその時

(あぁ、この人が亡くなったときに煙草をやめようかな)と思ったのを思い出して、でも到底やめられそうにはないから、せめて四十九日の間だけでも、自己満足だけど、生前の唯一のアドバイスということだし、禁煙しようかな、と思いました

そう思いながら僕は煙草に火をつけました

タルト

ケムリを作るのにも段々と慣れてきました、最近はお客さんからお褒めの言葉を頂いたり、差し入れを頂く機会が多くてとても有り難いです

タルトの差し入れを頂いて、食べたときに自分の口角が上がっていることに気がつきました
美味しいな、という気持ちが溢れていました
その時ふと、ひとから「君はご飯を美味しそうに食べるから、一緒に食べたり料理を作ってて嬉しい」と言われたことを思い出しました

最近食事を美味しそうに食べていたかな
休日も少なく、出勤前にかきこむようにご飯を食べることが多かった気がします

相変わらず年金とか学費とか、就職とか幸せとか 先送りにしている問題だらけだけど、たまにはゆっくりご飯を食べることも大事だということを思い出せました。

フリーター三年目 突入

こんばんは、皆様いかがお過ごしでしょうか

桜も咲いて、だんだんと暖かくなり、皆様も新たなステージに立つ時期ですね。

僕はというと、色恋や現実逃避に忙しく、気が付けばフリーター3年目に突入してしまいました。

ここでちょうど2年前に書いたものを振り返ると、相変わらず中身のない文章で、でもやはり2年たっても僕はまだ何も成し遂げていないんだナァ と痛感させられます。

しかし2年という月日は決して短くないもので、彼女と別れたり居候がまたできたり、何でも屋の雇い主からボロクソ言われて貧血になり立っていられなくなったり、高円寺の居場所がなくなったり、後輩の自殺の自殺を止めてきたり。

 

と、こうして振り返るとろくなことがない二年間かと思われるかもしれないけど、いい出来事もたくさんあった気がします。

具体的なことは思い出せないけどたくさん笑えた気はします

何より一番大きいことは、新しい仕事 シーシャ屋で働きだしたことでしょうか

シラフのお客さんとゆっくりコミュニケーションをとることなんて初めてだし、面白い人がたくさんいて、出勤が楽しみだったりします

一方で、各方面に迷惑をかけてきた自分がこの界隈で働いていていいものなのか

という葛藤もあり、働いている間どうしてもその悩みが僕の脳内の片隅に居座っています。

しかしこうして働かせて頂いている以上、せめて美味しいケムリを作れるように、日々精進していこうと思っています。

これが将来の就職に結びつかないとしても、今はこれを第一に頑張っていきたいな と意思表明をしたところで今日はこのくらいで勘弁して頂きたいです。

 

愚痴を吐けないという愚痴

 友人と遊んだり、接客をしていると、うんざりしたり苛々してしまうことは誰にでもあると思う。

 

もちろん僕にだってしんどい時や嫌な事はある。

だけどそれをなかなか相手に伝えることはできない、なるべく早くその時が過ぎてくれるのを願うだけだ。

しかしそうやって凌いだものは大抵後日まで引きずるもので、しかし今さら当人に言っても仕方はないしな、とげんなりして、そうしてまた翌日も引きずっていく。

 

当人に対しても勿論だが、さらに僕は第三者に対して愚痴を言うこと滅多にない、共通の友人とかに「この前あいつがさ」みたいな話が一番できない。

 

理由としては、僕が知らぬが仏論者なのもあるけど、愚痴なんて言っても決して相手は気持ちいい気分にならないだろうから あと陰で「小野さんがこんなこと言ってたよ」なんて話が回られるのも癪だから。

 

 とは言うものの、僕も愚痴を聞くことは嫌いではない(若干気分は暗くなる)し、一通り聞き終えたときにちょっとした戯言を言って笑わせるのも好きだし、陰で話が回り当人の耳に届くことで改善されるナニカもあるかもしれない、という考え方だってできる。

そういう考えもできるだろうが、でも僕はしない、一通り話終えれば多少気も晴れるのかもしれないけど、今度は聞いた人の心にモヤモヤが残るかもしれないし、僕のストレスを他人に移植する必要は無いのでは?という気持ちが優先される。

 

そういうのが積み重なると、ある日許容量を越えてしまい、そうしてプツンと縁を切ってしまう。

僕が最後に切ったのは二年前の探偵なんかの仕事くらいで、人間関係でこちらから縁を切るなんて事は一度もない(ハズだ)けど、一度心底うんざりした人の事はミュートしたりこちらから連絡を送ることはしなくなる。(元々自分から連絡を送らないタイプだから、これを読んでいる人は気にしなくて良いと思う)

 

今心に残っているモヤモヤは、働いている居酒屋の環境、偶然耳に入った愚痴、数月前に遊んだ友人の態度が悪く、僕も酷い対応を返していたらその友人が僕の対応を愚痴り現場を知らない第三者からお気持ち表明が来たこと、くらいだけど

気軽に愚痴を言えたら多分「僕」はもうすこし楽なのかもしれない

けど僕だって他人を傷つけた事が沢山あるから、そう簡単に被害者でいていいのかな、と思ってしまう

 

追記 これを読んだ人が僕が愚痴を聞いた時みたいに少しでも気分が暗くなってしまわれるのは嫌だから、なら書くなよという話だが

僕の問題なんて、時が経てば忘れていくことばかりなのであまり気にせず僕の適当な発言で愛想笑いをしていて欲しいです