遺すか遺されるか
頭がまわる可能性にかけてもう一本
履歴を見ると2019年に 心中 とのみ書かれたものが投稿されていました
心中
幼かった頃の僕は憧れていたような気もします、おやすみプンプンを読んだり、好きだった人から過去に付き合っていた人が自殺した話を聞いた時なんかは特に強く感じた記憶がうっすらと残っています
しかし今は、著しく自己肯定感が下がった瞬間を除けば滅多にそう思うこともなくなりました
僕はやはり、僕の根底に根強く残る死の恐怖に勝つことはできないのです
それに死ぬ事ってやはりカンタンではないという事を、たぶんこれを読んでいる方々も身に染みてわかっているのだろうと思います
幼子と一緒に、や老々介護の一家心中みたいやニュースはまだいつかのどこかで聞いたことはありますが、若いカップルの心中って聞いたことないですね
僕も、これを読んでいる皆さんも、きっと恐らく心のどこかで一ミリは、一生を終える相手が目の前のそれでいいのか悩んでしまうのではないのかな
それにまだ元気のある若者同士では、結局本能の抵抗が働いて、二人とも綺麗に成功する例が少ないのでしょうね
やはり一番嫌なのって相手だけなくなることだと思うんですよ、人間失格でもそうじゃないですか
そんなことが起きてしまう可能性、怖い、せめて僕だけでもの方がずっと良いじゃないですか
失敗が怖いので心中相手なんて募集はないです、僕は意識外から突然やって来る事故死に憧れています
葬式にはどんな人たちが来るだろうかなんて妄想しながらも、来てほしい人たちに連絡が届かないビジョンまで妄想しています
踊ったことないけど踊ってない夜より眠れない夜の方が気に入らない
数年振りにお題箱を設置しました
ここに書く題材にでもなればいいなと思っています
採用するかはその瞬間の精神面次第ですが、なにか送られていると、読まれているんだなという実感と恐怖が湧くので物好きな方お待ちしています
さて 「寂しい夜の過ごし方」というものを送っていただきました、ありがとうございます
寂しい夜の過ごし方、これを送ってくれた方や、たまたまこの文章を見かけてくれた方はどう対処するのでしょうか
結論から言うと僕はこの感情に打ち勝てたことはありません
寂しさ、たう、はそう形容できるほどカワイイ年齢ではないので孤さ独から来る憂鬱と置き換えてしまいますが、僕の記憶が正しければ
夜中、まっとうなレール(と形容するには乗ってる人たちに対して失礼ですが)に乗った方々が眠りいついたある瞬間に、誰からも見向きもされない自分に対して不安、恐怖を覚えるところから始まり、僕の場合はそこから「この先僕を必要としてくれる人は現れるのだろうか」とか「数年後の僕は未来へ希望を持ちながら生き続けていれるのだろうか」なんて考えます
考えたところで、「必要としてくれる人は現れるのだろうか」なんて受動的な思いではなにが変わるわけでもないし、元々未来への希望はないのですが、長生きすればするほど過去の思い出のみ蓄積され、先の時間は無くなるわけで、大きな主語を使うと「絶望」が大きくなってくるのです
昔の記事で、無音でシャワーを浴びると恐怖で気が狂いそうになるみたいなことを書いた気がしますがそれは今もしっかり残っており、そんな孤独と憂鬱を感じた僕は、ただただ恐怖を感じながら、そうして、そのまま何時間か後には眠りについています
そして翌日目が覚めた瞬間思うのは決まって(もう少し眠りたい)という本能です
だから、眠りさえすれば勝ちなのですが、この文章を打ちながら(質問は眠れない時どうするべきかじゃないか)という事を思い出しました
震えてる内にいつか眠ってた、ではこの質問を送ってくれた方なんかは肩透かしをくらうでしょうね、なんとか一つの答えは用意しないとナ…
そう考えると、そのようなイヤな気持ちを発散するために、僕はこの拙い文章を書いてるんだと思いました
僕が今ブログを更新するきっかけとしては、素面の場合は一定のエモ感情やひとりお気持ちが発生した時、もしくは一人や友人と酒を飲み、酒が抜けかけた瞬間に孤独を感じた時です
到底褒められる精神状態ではなく、特に後者の時はこの文章を書いている瞬間の顔をひとに見せることはできないと思っています(そもそもそばにひとがいないのでこのような精神状況になるのですが)
ただ、気持ちを整理する手段として、やはりアウトプットは優秀です、こうやって順序立てて考えながら出力していくと、自分が今何故、何に対して不安なのか を改めて理解できます
書ききれた時には一種の達成感があり、それは言語化することで、言語化できた自分に対して一つの安心が生まれているのかなと思います
もし何故不安なのかわからないとしても、不安のもとがわからない、と出力することで、客観的?かはわかりませんが、今自分はまだわからないんだ という事に気がつける
何が不安なのかわからない と 今はどうしたって不安の種わからないや だと後者の方が「どうしてもわからない」ということに気がつけるのでいいと思います
帰宅したら財布がない!どこだ!?よりも
少なくとも今ここにはない、交番に行こうなら後者の方がマシという事です
相変わらず例え話は苦手ですが、なんとなく伝わってくれれば嬉しいです
とにかく、出力はきっと、なにもしないよりはマシになるとおもいます
僕も今、この文章を考えていた間は孤独を誤魔化せてましたから
涙
最後に涙を流したのはいつのことだろう、と考えることがあります
僕の答えは、何年か前に今はもう絶縁した後輩の自殺を止めようとした時です
その前の涙として記憶にあるのは、中学生の頃に長く入院していた父方の祖母が亡くなった時くらいなもので、今となってはなぜあんな後輩に涙を流してしまったのか、と後悔の念の方が強いです
ちょうど今、5.6年ぶりにおやすみプンプンを読み返し、プンプンの小~中学生時代をゆっくり見返してウルっと着てしまったことで涙に対して文章を書こうと思った次第で、僕は割と簡単なお涙頂戴物でウルっとまでは行くのだけど涙を流すまでは行かなく、昔から「恐らく次に涙を流すのはまた近しい親族を亡くした時」だろうと思っており、空が猶更後輩に対して涙を流してしまった自分を馬鹿だと感じでしまうのです
涙、というのは結局自分の為に流すものです
涙だけでなく、悲しみ、怒りなど、負の感情を表に出すのは表に出すのは自分の為だと思っています
笑い、喜びは他者と共有することで他者に対してプラスに働く可能性がまだありますが、負の感情を表に出すことなんて、自分の中身をすっきりさせたいからというだけで他人がそれ受け取ったとして少なくともそれが喜びに繋がる可能性はないと思っています
だから負の感情、そして涙を流して得することなんてないのです
という意識が働いているのか、一人のときも涙をすっかり流していない、次に泣くことになるのはいつになるのだろう
でも、そんな日が来ないことを自分に対して願っている
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なかなか稀有な経験をしてきたつもりでした
すくなくとも、同じ時間を生きたニンゲンの中で、酸いも甘いも同じベクトルを経験したものはいないと自負しています
取り返しのつかない失敗、今からでは二度とできない経験、もう見れない光景、沢山できた会いたくない、会うべきではない、会えない人たち。
でも、ふと思い返したときに、僕の人生は皆様が到底選ばない選択肢をわざと選んでいた、みたいなものばかりだと気づいてしまったのです
何も残っていないのです
なにかを成し遂げたりとかもなく、今まわりと比べれば、努力や継続してきた人たちがしっかりとしたものを築き上げています
僕の選択なんて、誰でもやろうと思えば簡単に行えるくらいの人生なんです、僕はもう、みんなにはなれないのに
楽しかったり驚いたり、申し訳なかったり怖かったり悔しかったり
そういった思い出や感情が僕の中だけに残っているだけだから、いずれ皆僕のことを忘れてくれるから、そう信じたり諦めたりして、今日も目を背けることにしました。
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25日、居酒屋の給料日だった
相変わらず手渡し、深夜給はなし、それでもこの日に貰えるのは有難い
受け取りにいった流れで2.3杯飲ませて貰い、お手洗いに行った社長のグラスにしれっと酒を注ぐことでもう2杯得ることに成功した
なんならその後入ったラーメン屋に一行も合流してくれてそれも社長のご馳走になった
歴戦の猛者が残る場では昔話が盛り上がり、僕もいくつかまた昔話をしてしまい、その中でひとつ、ああ、これは書き残しておきたいな、と思った話題があった筈だったのに帰宅してみるとてんで全く何の話をしていたのか思い出せない
何が言いたいかというと、ブログをまた更新しよう という気持ちはあったんです という話になる
何の話をしようとしたか思い返すときは、最後の話題から振り返るようにしているのだが
ご馳走でした、さすが社長でゲスね!
ア、段差あるのでお気をつけください
までしか思い出せない
僕がわざわざ形にのこしておきたい文章なんてろくなものではないだろうから、きっとこれでいいのだろう
19-21の大学生、高円寺に浸かり始めた時期だった気がするが、どうだったかな
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その店は、山手線沿線のとある繁華街の路地裏にぽつりとあった
急勾配の細い階段を抜けると酷く狭く、汚い店内に辿り着く
楕円とも取れない絶妙な形のカウンターに椅子は6.7脚、近くのドンキホーテで割り材の買い出しに走り、ヤニで汚れたシンクで洗い物をする僕は当時高校生だった
学校にも行かず夕方になるとその店へ向かう
無賃でなんでこんなことをしていたのだろうか、しかし断るという選択肢は既に僕の中からなくなってしまっていた
その店の奥にある階段を更に登ると、真っ暗な部屋で、わずかな下の階からの光から、壁に多数の俳句が貼っていること、居住ができる空間であるというのは察することができた、そこから人が出入りした場面はみたことは無いし、少なくとも僕はそこで寝泊まりしたいとは思えなかった
あの部屋で見かけたひとつの句は、素朴だけど優しい夏の情景が思い浮かび、今でも記憶に残っている
曜日ごとにどこから来たのかも何者なのかもわからない面々がカウンターに立ち、常連や友人に酒を作る
流石に高校生だったので、10~11時には帰ることができた
そこからゴタゴタ色々あって、そんな世界と別れてから数年、大学生になり、何人目かわからない居候が仕事を求めていた際に、インターネット経由の友人も転がり込み、話を聞けばとある店で立つ人を探していたという
それが、数年前僕がいた店であった
世界は狭い、そんな事を思いながら、恐る恐る居候や友人が働いている日に飲みに行ったが、誰も僕を覚えている様子は無く、安心したのを覚えている
そんな内々の者御用達のお店には、やはり厄介な常連というのもつきもので、居候は出ていってから、友人は疎遠になってから、知らぬうちに二人ともその店をやめていたようだ
雇用契約や場代などもなかったような記憶がある、各自が仕入れ各自が好きなように売る、そんなかんじだった記憶だが、更に時間が経ち、段々と友人が減ってきたなと感じていた頃に、ふとまたとある友人の事を思い出し、どうしているのか調べてみると、名前こそ変わっていたが、あの店に彼は立っているということがわかった
つくづく世界が狭すぎる、苦笑いを一人で浮かべながら、彼の立っている曜日だけ調べつつも、もうあの場所に行くことは無いだろうなという予感がした。
10年
先日、久しぶりに高校時代の同級生が夢に出てきた
僕が彼を捕まえ、殴ろうとする夢だった
相変わらず中学生の頃、大学生の頃の夢よりも高校時代の夢を見る事が多い
いま唯一ほとんどの繋がりを絶っている時代の夢を、10年経っても相も変わらず見続けている
彼が出てきた理由は起きてからすぐわかった
僕の中に未だに彼から言われた言葉が残っているからだ
「人間としては軽蔑しているけど友人としては接してやるよ」
うるさい、そんな言葉頼んでいないし、そもそも僕は君とそんなに仲が良いと思っていなかったし、面白いとも思っていないし普段オタクの語録しか喋らない、自分の言葉で喋れよと思っていたよ
そんな中出てきた数少ない自分の言葉がそれかよ
未だに思い出す度に苛立ちが湧いてくる
でも、僕はそんな同情を口にされるような人間であった事が、どうしても否定できない
この感情は、苛立ちではなく悔しさなのかもしれない
10年も前の一言が楔になりがなら、相変わらず日々を誤魔化して、今日も何も変わらない
楽しい記憶というのは、人と一緒にいたり、会話することで思い出せるけど、嫌な記憶と言うのは一人の時でもいつでも帰ってくる
早く解放されたい