駒津の記録

僕の考えていたことや経験したことを書きます 

自分の土俵であぐらかいていたい

こんばんは

いきなりですが、郷に入れば郷に従え という言葉がありますね

この言葉は、使おうと思えばどこにでも使える言葉だな、と思っています

どこか遠くへ行く時以外にも、公共施設だとか、他人の家だとか、頑固な店主のやってる店だとか

僕も、わりとそれに大人しく従うタイプの人間のつもりだったのですが、最近になって、ひとにあわせることすら面倒に感じることが増えてきてしまいました

新しいものへの興味の低下が影響しているのかな、とも思っていますがやはり大きな要因としてはこの僕個人の人生の考え方が諦めをベースとしていることでしょう

極論どうでもいいんです、何がどうなったって

もちろんなるべく他人に迷惑はかけないに越したことはないよな、と思ってはいるけど、他人と自分では「気にすること」のキャパが違うじゃないですか

アウェイの場所(先述した友人宅等)で他人の基準に合わせて気をつかうより、どうでもいい自分の家や空間で好きにしてもらう方が楽、みたいなことです

僕は自分のことがどうでもいいから皆さんに優しいんです、自分に甘いだけなのです

 

でも、こんなだらしない僕を気に入ってくれたり、大事にしてくれる人にはなるべく失礼をしないべきですよね、そのためにはこちらから関わらないのが吉、ということです

本当にそれでいいのか?という気持ちを常に心のすみに押し込みながら、今日もだらしなく生きています

寒いし夜だし金は無い、憂鬱になるには充分な材料が揃っていました

 

冬、毎年必ずやってくる、僕一人の力ではそれに抗うことはできない、年の瀬にはトナカイが髭を蓄えたおじさんを抱えて地球中を駆け回り、炬燵に入ってもういくつ眠れば今度は鷹が茄子を咥えて富士山を駆け回る

 

年々加速していく温暖化の影響なのか、ただただ歳を取っていったせいなのか、年々冬の到来が早まっていやしないか、秋というものが短くなっているのではないか、今年も秋刀魚と梨を食べ損ねてしまったまま2024年になってしまった

また、通信技術が発達し、即座に遠くの人ともコミュニケーションが取れる現代においては年賀状というものは面倒な風習となってしまい、一人暮らしのフリーターの家には知人からのそれよりも企業による営業が含まれたものの方が多く届くようになってしまった

もう今年は会わなくてもいいかなという人には10月頃には良いお年を願っておくし、もっと会いたくない人には夏頃にはじめの挨拶をする、挨拶は大事だ。

 

朝の北風を感じる度に、なるべく日向を歩けるように登下校していた頃を懐かしく思う、懐かしい思い出が生きていくほど蓄積されていくが、あまりにも美しい思い出とはお世辞にも言えないような恥ずかしいもので構成されすぎている、生きてて恥ずかしいなと思いながらまた冬を迎えてしまった

この文章だって恥ずかしい、こんなのを読んでいる暇な人に感謝と恐怖を込めながら、どうかよいお年を過ごして欲しい

一日に二度も文章を

相変わらず責任感の無い男なのですが、ソーシャルネットを見ていると、皆様の許容できる幅がどんどん狭くなっていっている気がしています

杞憂コメントとかバイトテロとか

 

「(今まで気がつかなかったけど)人からみたら不快なこと」を見ることが増えていて、その不快が伝播している

もちろん非常識な人に対しての訂正もあれば、一部の人が気にするような事柄への指摘を見て、ああこれは推奨されない行いなんだ、と覚えてしまう

 

気にする人を蔑ろにしたいわけではないけど気にしない人もいて、本当にひとそれぞれだからなんとも言えないけど、なんだか最近みんな自分に関係のない物事を許せなくなってきてないかな

 

知識を得たり、知るという行為は賢さパラメータが上がるけど僕は世の中知らぬが仏だと思っていて

極論だと明日必ず死ぬと知ってまった夜と知らない夜、どちらが安眠できるかな、みたいなことです

 

劣悪な環境でも楽しんでる人に、ここはこうするべき、あなたは騙されているよと正す行いは世の中やまわりのひとのためにはなるけどその目の前の個人に対しての正解なのだろうか?

みたいな考えもあるから僕は他人の生き方に口出ししない、そもそも口出しできるようなステータスじゃないけど

 

どうせ全人類がわかりあって一律にきれいに正しく生きることは不可能なので、僕はその都度目の前の人が嫌がることはしない、くらいでいいんじゃないかなと思っています

人類賢くなりすぎです、情報を見すぎです

山奥で好きな人たちと娯楽だけ集めてドローンで毎日うまい飯が届いてたまに街中に繰り出すような生活がしたいね

 

 

個人として接して欲しいね

最近のソーシャルネットを見てみると、情報量が多すぎるせいで、あらゆることにおいて主語が大きくなってきているよなと感じます

フェミニストとか、弱者男性とか、政党だとか陰謀論者だとか、理系だとか文系だとか16タイプの性格診断だとか

そんな中で、「あの人は◯◯だからな」とか「◯◯らしいね」と言われると、たまに思うところがあります

研究が進んで区分分けがしやすくなっていくのは良いことだけど、だんだんと相手の事を名前でなく属性で見るようになっていないかな、と

 

勿論細かな異例を挙げていくのはキリがないからそのような傾向の判断材料としては良いんだろうけど、僕は皆さんの思想とか、傾向よりもまずは名前とか趣味を知りたいです

 

相手の事を分析するんじゃなくて純粋に皆さんのことを知りたいです

 

マァだれも僕に興味は無いだろうし、僕も自分の内面で思ってることも言わないし、自分の中でいつも「どうせ何言ってもな」みたいな諦め決め込むので誰ともわかり会わないんですけどネ!!!

巻き戻すことはできない

このブログは2017年1月末から書き始めていたようで、もうすぐ書き始めてから丸7年が経とうとしているようです

なぜそんなことに気がついたのか、それは自分のSNSを遡っていたことから繋がりました

遡るといっても見返すわけではなく、過去、特に学生時代の投稿を、読み込む(ロード)しては消しを繰り返していたところでした

 

このブログは(まだ)考えてることや経験したことをきちんと形に残したい、というような気持ちが(当時恐らく)あるから残してますが本当に見返せないですし、それがSNSになったらどうなるか、ほろ酔い状態のツイートとかとっても恥ずかしい自分語りとか、本当に観るに耐えられなかったのでこの1時間で300件くらい消しました、他人へのリプがキモすぎる。

そうして過去の自分を消す旅に出ていた時にふと昔仲が良かったアカウントを見かけ、なんとなくどんなことをしているかは知っていたけど実際どうしているんだろうとすこし覗きに行くと、しっかりとした表現者になっていて、当時あったときの一人でやっていけなさそうな感じとかも無く、立派に生きていました

昔その人と話していた時「何者かになれるのかな」「ならなくても良いって先日兄さんに言われたよ」というような会話をしていたのを覚えていますが、それから数年経って、向こうは立派な何者かになっているな、僕は

と思いました

 

今年で僕27歳ってマジですか

26はなんかこうまだギリギリ許されると思っていたけどなんかもう27はマズいよな

まずいよ

 

酒を飲みたい

祈る ということ

あけましておめでとうございます

 

去年の頭の方に、2022年を振り返る、みたいなこともやろうとしましたが、結局上半期しか振り返らず、だらだらと、せかせかと生きているうちに時間は流れていってしまいました。

 

ケムリ作りはじめて2年経って、少しは美味しいものをつくれるようになったかな、とも思ってきましたがまだまだ井の中のおたまじゃくしだと思って、この生活が許されている間は頑張っていきたいな、とおもっています。

 

さて、新年といえば初詣です

今年を無事に迎えられたことの感謝だったり、この一年もいいことがありますように、だったり、純粋にカミサマに挨拶をしに行くだったり、トモダチとかすきなひとと会うのが目的だったり、人によって目的は様々でしょうが、その場所にさえ行けば皆様は何かを願ったり、祈ったりしていると思います

僕は某宗教の3世で、初詣などに気楽に行けるようになったのも大学に入ってからくらいで、それまではそういうところに行き、なにか祈ることに抵抗を少しだけ感じていたのを覚えています

僕にとってはそれが当たり前で育ってきてましたから

幼少期は近所の人の家に集まってオハナシしたり、新年は会館に集まっていたりしましたが、中学生時代にポロっと自分はどこどこのアレだ、と言った際、うちのトップはネットでもよく知られていたので、それで距離を置かれたことにとても驚きました

別にどちらが悪いということはないです、僕は生まれを後悔したことはないし、その同級生だって実態こそ知らないだろうけどそういう団体に良いイメージは無く、身近にそんな人がいれば警戒する、というのは、マトモな人なら当たり前だと思いますから

 

しかし恐らくその出来事も影響してなのか、今の僕が、基本どんな人も受け入れられるような人間になれたんだろうな、と思います

親が昔の同級生の家に選挙のお願いをしに行った、というような話を聞くと少しウッとなる、また居づらくなるのか、というようなきもちにはなりますが

 

ようやっと本題です

祈る(願う)、という行為についてです

この三ヶ日は日本人が最も祈る願う3日間ではないでしょうか

他人の考えていることはわからないし、この先も一生わかることなんて無いのですが、僕は皆さんが神社で、こんな時、何を思って手を合わせているのかな、と聞いてみたくなることがあります

 

僕の中では「願う」は自分本意なもので、「祈る」は第三者に向けたり、自分ではどうしようもない事象に対する思いなのかな、と考えていますが、今回はその中でも祈る ということについてです

どんな宗教でも、祈る、という行為自体は善き行いであると僕は思っています

他人の幸せを思う、無事を思う、安寧を思う

勿論そんなことをする暇があるならその相手に何かしてやればいいじゃないか、自己満足だろう、と言われればそうなのかもしれないけど、それこそ先述したように、僕にはもうどうしてあげることもできないような人だって居ますし、せめて、自己満足でもいいから、僕のなかで祈ることで、僕の中に救いが欲しいんですよ

 

インターネットを見ていると、現代はすっかり悪いニュースばかりで、見ていて気分が暗くなる一方で、どこにも救いはないように思えてきてしまうから、自分のために、そしてあわよくば皆さんのために、僕はそういう時は大抵、皆様の幸せを祈っています

親族、好きな人、最近知り合った人、もう会えない人、一緒に働いてくれる人達、お客さん、友人、みんなの、せめて僕の目に映る人達だけでも、一人でも多くの人の顔を思い浮かべておきます

 

なので皆様が今日まで無事でしたらそれはきっと僕のお陰です、感謝してください

 

 

親族達の仏壇には、小さい紙にいくつか名前が書いてあって、その人達の幸せを願っていしました、僕もノートに皆様の名前を書いてみようかな、とも思ったりしますが、それは不気味がるひとも多いだろうな、と思いました

 

これを読んでくれた人達も、どうかこの先安心した日々が続きますように

高円寺へ行く度に足が止まる場所がある

居酒屋をやめてから、正確には支店、高円寺店が無くなってからはあの町へいく用事は麻雀を打ちに行く時くらいなもので

たまに散歩とか、古着屋をチラ見したりもするけれど、昔より行く頻度も滞在時間もすっかり少なくなったな、と感じる

 

当時はどうだっただろうか、大学生のころ

授業にしっかり寝坊をして、まず通学は諦める、17時の出勤までどうしようか、そんな時はだいたい自然と足が向いていた

たくさんの居場所があった、いつも迷惑をかける水煙草屋で黙々モクモクしたり、ダンブルドアみたいなオーナーのいる喫茶店で、オーナーの肩を揉みながら喋ったり、喋ったことは大抵大きな尾ひれが付いて収集のつかないことになってたり

そうして夕方になると高架下の店へ出勤する

シャッターをこじ開けておはようございますと言うと、大抵は既に素面ではない店長が煙草を吸っているだろう

北口バスロータリー周辺の八百屋やドラッグストアにお使いに行った後は、大抵昨日の洗い物がたくさんのこっているのでそれをやっつけていく

僕が入って一年程経った頃には食洗機の配線がネズミにやられ、冬場はずっと冷たい水で手洗いをしていたのも懐かしい

 

重いシャッターを開けると一直線に見えるのは高架の屋根、この店から出ないことには日光を浴びることなんて叶わない、モグラみたいだなと思っていた

 

店長の当時の彼女(僕のネットの知り合い、いろいろあった)が書いた オープンの札を雑に置いて、今は何故か僕の家にある看板を出す

オープンして暫くはお客さんは来ない事が多く、大抵はその間に店長と喋りながら店の酒を飲んで、僕が煙草を吸いに裏に行く時に限ってお客さんがやってくる、お客さんを召喚するために煙草を吸いに行くこともあったくらい、煙草を吸うと客がくる

大抵は常連や友人だ、一杯飲みなよ、と言われて乾杯をする、無論一杯もらう前から我々は呂律が既に怪しいレベルになっている

 

もしもあの店にドリンクバックがあれば僕は一体いくら貰えたのだろう、と考えることがあった

貰ったときは何を頂いたとしてもチューハイ350円で伝票につけていたので、せいぜい一杯あたり50円が関の山かもしれないが、それでも一年に150杯は頂いていたと言っても過言ではないだろう

 

そうしてべろべろになり退勤したり、店長が眠ってしまったにも関わらず常連は飲み続けることで朝まで退勤できなかったり、そうしてふらふらとした足取りで帰る

そんな生活を4年繰り返し見事に大学を中退した、でも僕はもしそこで働いてなくても恐らく大学を中退していたと思うから、そこに恨みも後悔もない

 

 

先日、高円寺から歩いて帰る機会があったので、ついでにぐるりと一周町の様子を見てきた

 

コロナ前と比べると駅前にガールズバーのキャッチが増えて、代わりにキャバクラのキャッチは減ったな、常連に無理矢理連れていかれたあの店はまだ生きてるのだろうか、偶然フォロワーが働いていたな

 

駅前ロータリーは緊急事態宣言によりお店が閉まりだした頃から、むしろいっそう賑やかになったよな、年中花見をしているような、夕方になるといくつものグループが缶チューハイを飲みながら、会話をしたり、楽器を奏でたり、絵を描いていたり

行きつけの喫茶店は営業時間が縮んだし、僕も出勤時間が早くなったことですっかり顔を出せなくなった

 

高架下は、すっかり再開発も終わり、なんとも綺麗な飲食店が立ち並んでいた

近くにあった、仲が良くて何度もオテツダイをした店たちも見てみる

ネズミ蔓延るビール屋も閉店していた、中国人の女将がやっているおでん屋はこのシーズンは営業していないみたいだ

 

ここら一帯は、この町の中でも、僕の一番居た場所だったから、少し寂しくて、未だに通りかかる度に、つい足を止めてしまう

 

そうして高架下から少し外れて、家に向かう途中で、先日亡くなった常連の家を見ようと思った

これもまた何度かオテツダイをしていた関係で場所を知っていた

葬儀とか、勝ってた犬の事とか、どうなったのかわからないことばかりだったので気になってみにいくと、すっかり空き地となっていた

それを見て僕はまた、この町にくる理由が減ったなぁ、と思って、歩いて家に帰った