駒津の記録

僕の考えていたことや経験したことを書きます 

寒いし夜だし金は無い、憂鬱になるには充分な材料が揃っていました

 

冬、毎年必ずやってくる、僕一人の力ではそれに抗うことはできない、年の瀬にはトナカイが髭を蓄えたおじさんを抱えて地球中を駆け回り、炬燵に入ってもういくつ眠れば今度は鷹が茄子を咥えて富士山を駆け回る

 

年々加速していく温暖化の影響なのか、ただただ歳を取っていったせいなのか、年々冬の到来が早まっていやしないか、秋というものが短くなっているのではないか、今年も秋刀魚と梨を食べ損ねてしまったまま2024年になってしまった

また、通信技術が発達し、即座に遠くの人ともコミュニケーションが取れる現代においては年賀状というものは面倒な風習となってしまい、一人暮らしのフリーターの家には知人からのそれよりも企業による営業が含まれたものの方が多く届くようになってしまった

もう今年は会わなくてもいいかなという人には10月頃には良いお年を願っておくし、もっと会いたくない人には夏頃にはじめの挨拶をする、挨拶は大事だ。

 

朝の北風を感じる度に、なるべく日向を歩けるように登下校していた頃を懐かしく思う、懐かしい思い出が生きていくほど蓄積されていくが、あまりにも美しい思い出とはお世辞にも言えないような恥ずかしいもので構成されすぎている、生きてて恥ずかしいなと思いながらまた冬を迎えてしまった

この文章だって恥ずかしい、こんなのを読んでいる暇な人に感謝と恐怖を込めながら、どうかよいお年を過ごして欲しい