駒津の記録

僕の考えていたことや経験したことを書きます 

友人と

昨日の夜、飲みに行こうよという誘いが来た

僕と同い年で、ついこの間までフリーターだった彼はよく行く雀荘でフリー(一人で来店して、店員さんや他の一人で来た人と麻雀を打つ)で知り合ってから、何度か卓を囲んだりはしたが、一対一で会話するのは勿論、雀荘以外で会うことも初めてだった。

 

 いったいどういう風の吹き回しなのだろうかと気になったので行ってみることにした。

 

退勤後、急いで高円寺へ向かう。

昨年の11月に僕が働いていた店が閉店してから高円寺へは何度か飲み行っているけど、毎度なんだかとても懐かしい気分になる。

 

駅で彼と合流し、町をふらふらしたがどこもかなり混んでおり、こんなご時世なのにこの町は相変わらずだナァ、と感心していた。

しかたないので元職場の近く、僕がたまに手伝うお店へ行った。

なんとか席が空いていたが店長一人で切り盛りしていたので、自分らの酒は自分で作って乾杯した 。

 

 

「しかしいったいどうしたんだい、声かけてくるとは思わなかったよ、何かの勧誘?」

と、冗談半分で聞いてみた 半分は本気だ。

彼はハハハと笑うと

「そりゃないよ、もっと浅い仲ならわかるけどこんな友達にしないよ」

僕もハハハと笑い返すが、内心すこし驚いていた

彼は僕のことをそのくらいには仲の深い友達だと思ってくれていたらしい。

 

昔の記事にも書いたが、僕は「友達」という言葉を口にすることが殆ど無いし、誰に対してもどこか無意識で壁をつくってしまっているから、彼の口から発せられた「友達」という言葉が想定外すぎて

僕は常に皆に対して予防線を張っているけど、彼は、誰に対しても、ということは勿論無いだろうが、僕のことを純粋に友人として誘ってくれたんだなあと思うと すこし嬉しかった

こうして文章にしている時点ですこしじゃない気もするけどネ!!!

 

数時間飲んでほろ酔いで帰って、道中に雀荘があったからフリーで入るといつも卓を囲む連中と同じ卓になってしまい、ボコボコに負けた

それでも良い日だな、と思えた

 

不快な文章です

(性的な内容を気持ちの悪い自分語りが含まれます、苦手な方は避けてください)

 

 

突然だが僕には快楽依存の気があり三大欲求に打ち勝つ、という事は滅多に無い

 

腹が減れば安易な方法で空腹を満たすために出費するし、寝坊もするし、なにより負けてしまうのが性欲だ。

性欲さえなければもう少しマトモな青春を送っていただろうな、とよく後悔する。

すぐ誘惑に負ける、知人、友人に対しての壁も性欲の前には砕け散る。

 

本題へのツナギの文章が思いつかなかった

 

そんな性依存の僕だが、そういう行為をしている時、たまに、唐突に他の事を考えてしまったり、頭の中に歌が流れてきたりして、それがどうしても頭の中から消えないことがある。

目の前の快楽に集中したいのに、まるで現実逃避をするように頭の中で邪魔をしてくる

そもそも快楽の為にそういう行為をすること自体が現実逃避なのに、その現状からも逃避しようとしてしまう。もちろん好きな相手とでもだ。

 

僕は、どこへ行っても、どれだけ逃避しても、今いる現状から逃げようとしてしまうのだろうか

 

 

なんでこんなことになってしまったのかな、と考えると、心当たりはあるんだけど

それを書いても不幸の自慢話になってしまうだけだな と思ってしまった

 

そうするとこの文章には結論のないただただ気持ち悪い文章になってしまうんだけど、つまり何が言いたいかって、性欲は人を傷つけるし人を狂わせるってことだ。

 

性欲さえなければ、もう少しマトモな人生なはずだったのに。

陽気な人間と陽キャというのは別物

明けましておめでとうございます

なんとか今年も文章をすこし書けそうです

いきています

みなさんはどうでしょうか 僕からしたらこれを読んでいる人が今何をして、何を考えているのか 皆さんが本当に意思を意思を持っているのか 未だにたまに疑うことがあります

 

さて、前置きが長くなりました

 

僕はつい今さっきまで歌舞伎町の先輩の働いているバーお酒を飲んでいた。

バーといっても歌舞伎町のバンドメンバーが集まったり、ホストなどがアフターで女の子を連れてくるようなバーで、正直に言えば一人でそんな店にいるなんて店の雰囲気にも合わないし、しまず僕という存在が変な目で見られているだろう。

それでも僕はオヤスク酒を飲ませて貰えるので度々お世話になっている

誰もいない日は先輩とゲームをしたり他愛もない話をしながら酒を飲めるが、ごくまれにに他のお客さんと同じ席で飲む という危機が訪れる

 

僕はひととの会話は多少できる方だと思っている、大学に入ってから居酒屋、児童館、家電屋、旅館等のお手伝いをしてきたし小学生~80代くらいと気さくな「会話」をこなしてきたはずだ

しかし歌舞伎町の彼ら彼女ら、所謂陽キャと呼ばれる人達に対峙するととたんに何もできなくなる

そもそもしっかりとお互いを知ろうとする「会話」ではないなと感じた

それもそうだ、僕は偶然その店にいて紛れた物で向こうからしたら興味などないのだ

ホストと連れの女の子達のテーブルに邪魔したときなんてタイヘンだ、かえって全員から「ごめんね居心地悪いよね」と謝られることだってある 謝りたいのはこちらの方だ

しかさ最近になってほんの少しは先方の空気に対応することができてきたのか、謝られることはなくなり少しホッとしている

唯一未だにウッとなるのはカラオケ何か歌える?と聞かれ、酒も飲んでいるし皆さんの知らないヘタなうたを聴かせるのも申し訳ないので曖昧な返事をすると必ず「君の知らない物語とか一緒に歌う?」となるのだ

うーーん やはり僕から出るオーラは陰のものだなあ、陽気な接客を心掛けている僕だけど、この人達に僕のテンションは追い付けない、これが陽気と陽キャの違いか と知らされることになったのでした

 

 

それでもお酒はおいしかった

 

 

 

やはりぼくは赤ちゃんが嫌いかもしれない

お店に家族連れが来店した 5歳と3歳くらいの男の子を連れていた

どちらもとてもかわいらしかった

お兄ちゃんの方は良く落ち着いていたが、弟のほうが席に着くなりすぐ泣き始めてしまった

そのときはまだ可愛いなぁとおもっていた

子供とふれる機会は多かったので僕もあやしに行こうかなとも思ったが、親御さんに嫌な顔をされると気まずいだろうと思い 遠目から眺めていた

入店してからしばらくは泣いたり泣き止んだりがつづいていたが、ほかのお客さんが入るころには落ち着いていたので安心した

やがて持参していたおもちゃで遊びだしたのだが、お父さんがそっちはいっちゃだめだよ、と止めるとおもちゃを投げてぐずってしまった

その時僕はなにかウッとなった 語彙力がなくて申し訳ない

その正体は何なのだろかなと考えると、やがて結論にたどり着いた

その子に対するいらつきだった

もちろん子供が嫌いな人だっているし、どんなものにもイラつくことはあるだろう

それでも僕はなるべく子供に優しくしよう、こんなこと怒るほどの事でもない、よなと思っていた

それはどうやら今まで本心から思っていたのではなく怒るほどでもないんだぞと自分に言い聞かせていたのだ、と気が付いた

だから、このいらつきの正体は自分に言い聞かせているのに不満を思ってしまったこと だった

うまく表現できていないがつまり僕は子供に対してよりも子供に対して嫌な気持ちを抱いてしまう自分に嫌気がさして苛々していたのだ

 

これから生きていく子供たち 僕たちよりも残された時間が長い分辛いことや悲しいことがたくさんあるだろうけど、生まれてしまったからにはたくさん笑って欲しいなと思っている、これはたぶん本心から思っている

でも 今日の出来事を踏まえて 改めて僕は絶対に子供はいらないな と思った

 

 

知人の自殺を止めてきた話2

彼女をベッドにおろしてから、2~30分ほどで意識を取り戻したようだが、そこから言葉を交わすのにはさらにそのくらいの時間がかかった

「どうして来たの?」

『どうして…かぁ…』

どうして僕は彼女の家へ来たのだろうか、と言われれば 頼まれたから としか言えなかった

死にたいという気持ちも尊重するべきなのではないだろうか、第三者が止めたところで、彼女にとっては苦しい日々が続くだけなのではないだろうか

もしも、僕が本人から直接これから死ぬと言われたら僕は止めたのだろうか

などと考えながらここまで向かってきた

『俺はどうして来たんだろうね、俺が止めたところで君が死にたいことに代わりはないし、君の死にたい気持ちは俺にはどうにもできないのに』

「じゃあ来なければよかったじゃん」

『そうだよな』

 

『ごめんね』

 

「じゃあもう帰ってよ」

『そういう訳にも行かないんだ』

「どうして」

『ウチの娘に頼まれたから』

「駒津さんは関係無いじゃん」

『きみは娘が自殺しようとしたら止めるだろ』

「うん」

『そういうことだよ』

「わからない」

 

 

それから一服して、小一時間程包丁を巡って組み合いになり、落ち着いた頃にまた今辛いことの話を聞いて、そうしていると過呼吸になったので、背中をさすりながら掛かり付けの病院へ連絡した 

病院へ電話をしている内に彼女はそのまま眠ったので、二時間ほど見守ってからバイトへ向かった

 

後日、お礼として彼女から煙草を1カートン貰った 

人助けはしてみるものだな、なんて思う反面、彼女はこれからも生きている限り辛い時間を過ごしていくのだろうな と思うと これで本当に良かったのかと疑問が残っている

 

 

 

知人の自殺を止めてきた話1

朝六時頃 いい加減そろそろ眠ろうかというときに、娘(僕のことをママと呼んでくるため)から着信があった

なんでも僕と娘の共通の友人(以下、彼女と呼ぶ)が大変気を病み、処方薬はあるだけ飲んで、首を吊ろうとしていたらしい

娘は彼氏と旅行中の為、僕が彼女の家に向かうことになった

 

彼女は数月前はよくうちに来ておりその間にも我が家でも過呼吸が起きたり、リスカしたり、酒癖がわるく僕の胸倉をつかんでくるなどしたが、翌朝には記憶がまるっと抜けている などおいうことが度々あった

解離性人格障害の気があるらしく、病院へ付き添ったりしたこともある

 

 

僕に連絡が来てから準備をしたり、電車に乗ったりで一時間後くらいに彼女の家に着いた

娘が電話で彼女に部屋の鍵を開けておいてと言っていたおかげで、家には難なく入ることができた

玄関からはリビングへ繋がる扉があり、その扉の曇りガラスの陰からはうなだれた人影が見えた

ドアノブからコードを垂らすタイプの吊り方で、押戸だったので扉を開くのに若干手間取った

押して開いた隙間から部屋に入り、彼女の首のコードをほどいて、お姫様抱っこで運び、ベッドに寝かせた

 

視線

いつものことながらお久しぶりです

 

フリーター二年目 今月で24になりました

社会からは離れていく一方、人生で一番たくさん誕生日プレゼントを頂きました

 

今年は何か変われるといいなと思いはします 未だに何も行動に移せていませんけどネ

 

さて、最近僕はサングラスを手に入れました

お手伝い先に転がっていたものを頂いた、という見た目も出自も胡散臭いサングラスです

最初は興味本位で、部屋にでも置いておくだけのつもりでしたが、一度身に着けてみると、なんだかとても安心するのです

僕はひとと目を合わせて会話することが苦手で、ひとに目を見られることもあまり好きではないのです

僕はあなたの目を見ないから、あなたも僕の目を見ないでくれ なんて口にすることはできるわけもなく ただひたすら目を逸らし続けてしまいます 現実からも目を逸らしています

しかしそれよりも、目が合う事よりも「あ、今目が合ったな」と思われるのが嫌だったのかもしれない

あまり自己評価が高いほうではないので、こんなのと目が合っちゃったよ、と思われていそうで、それが怖かった

思い返せば僕は高校生の頃から目を隠していた

被り物をしてものを売ったりあちこちに行っていた、あの活動中もそういう安心があったのかもしれない

つまりどういう事なんだろうと思ったが、たぶん自分の顔が一番自信がないんだろうな と今結論付けた

 

去年によく手伝っていたところで、僕にとっては過酷なことを強いられていた時、ウンザリしながら仕事をしていると「なんだその目は」と怒鳴られたことがある

やはり目は口ほどにものを言うんだなと思った

そういうわけで僕は他人に目を見られたくない 近場に遊びに行くときは暫くサングラスをつけていることだろう

高円寺で胡散臭いサングラス男が歩いていたらそれは僕かもしれない