ひとの気持ちを汲み取ることができなくなった
と言っても、この行動によって相手は多分こう思うんだろうなあ、という事はぼんやりわかるから
だから喜びそうな、笑ってくれそうな、そんな選択肢を選んでいればまず困ることはない
しかし一方で、相手が怒ったり、悲しむかもしれないなとはわかるが、それがどの程度のものなのかわからない だからたまに思いもよらないタイミングで他人を傷つけてしまうことがある
いつからだろう、感情の尺度がわからくなったのは
たぶん、あの出来事からだろう 唯一の心当たりだ
高三の夏、僕の感情は一度死んだ
1997年 僕は東京で生まれた
恵まれた家庭だったのではないだろうか
愛されて育てられたと思う
ただ一つ、宗教に熱心な家庭の子であるということが今も心の底で不安の種になっている
昔から、楽な方へ 努力しなくて済むような方を選んでいた 少し変な子だと言われていたらしいが覚えていない
小学生の頃も努力は嫌いで、宿題なんて全くしなかった しなくても漢字以外はいつもいい点を取れていた あの頃努力していれば自分の書く文字はもっと綺麗なものだったかもしれない
また、不公平なワガママが嫌いで、よく隣の席の子を注意すると、かえって僕がうるさいとみんなから言われた 自分の方が正しい筈なのに、間違ったことはいっていない筈なのに
高学年の頃には学校を休むようになっていた