駒津の記録

僕の考えていたことや経験したことを書きます 

蝉の声を聞く度に(年末)

こんばんは。毎度挨拶がお久しぶりですになってしまっているこのブログ

たまには別の挨拶をしたいと思います

ええ?もしかしたらこのブログを朝とか昼に読む人にはおはよう、やこんにちはと言わなくていいのか?いーんですよこういうのは!日航の出てるうちにこんなブログ読まないほうがいい!それにどうせこんなの読む皆さんはどうせ24時間メンタル真っ暗でしょう?

普段は泥酔するかブロンでも飲まないといい文書が書けませんが慣れない赤マル片手に文章チャレンジといきましょう

さて、この家に引っ越してきて二回目の年越しを迎えようとしています。

今年も今年で色々あったような気がしますし年末もなんやかんやで忙しい。

皆さんはいかがでしたか?多分1年間何も無かった人なんていないはず、罪を重ねてしまったり徳を重ねてしまったりあんな事こんな事あったでしょう。

僕はすっかり色々な欲もなくなり、相変わらず打ち込むものもなく、暇さえあれば憂鬱に悩まされています

来年で22歳になるらしい僕は未だに未来は見えず今を乗り切るので精一杯です

RADWIMPSの歌詞じみた事も言いながら、来年はどう生きていこうかぼんやりと考えたりも全くしないんですよホントに全くだめだこりゃ。

どうか皆さん来年もお元気でお気を確かに生きてください、予定が合えば遊びに行きましょう、そうして来年も生きて、再来年も、5年後も10年後も。気が付けば30代になっているだろうしもしかしたらならないかもしれない、ウン十年後には孫でもいるかもしれない、

それでも自分のやってきたことは消えることはないんでしょうね

僕は死ぬのが怖い人間なんです

大切にしてくれた人に会えなくなると思うと悲しいし怖いんですよね

宇宙がどうとか世界がどうとか、主語が果てしない話題を前にするとふと僕らが死んだらどうなるのだろうと思ってしまって、特に一人だとその恐怖に耐えきれないで必死に誰か連絡を取ろうとしてしまう

そんなときは必死にこう考えます

死んだ先には別のステージや別の世界があるのかもしれない、ここから次へは一方向だが向こうに行ったみんなに会えるかもしれないと

まぁ思い込んだところで怖いものは怖い、こんなことになるなら生まれた事すら後悔してしまうかもしれない、いっそのこと家族並みに宗教に没頭したい

しかし生まれてしまったので仕方無い

たまに見かけるんですよね、死ぬのを想像したのか独り言で嫌だとか怖いって言っている人、なんとなくわかるんですよ

しかしそんな人に僕も怖いんですなんて死ぬほど恥ずかしくて言えないんですよね、なのでこうして文章にして発散します

もしこれを読んで僕らと同じように死ぬのが怖い人は、諦めましょう、一緒に諦めて来年も生きていきましょう、再来年も5年後も10年後も、そうしてゆっくり死んでいきましょう。

オチが見当たらないのでおわり