駒津の記録

僕の考えていたことや経験したことを書きます 

居場所

僕は特別これといった趣味がない。何か長続きしているものもないし得意なこともなく、どうしても知りたいと思える学問もない。

そんな僕がどんな時に幸福なのだろうか、お酒を飲んだ時、煙を吸ったとき、遊んでいるとき、確かに幸せだろう、その瞬間が幸せなら、瞬間の幸せが死ぬまで続けば幸せな一生だろうと言い聞かせて生きているが一生酒を飲み続けて死ぬなんておそらく周りから見ても、いや自分から見ても無様なかわいそうなものだというのはわかっている。

僕は安心したい。1分1秒でも長く安心して不安から逃げて生きていきたい、たまには安心を支えに不安を乗り越えていきたい。安心して死にたい

 僕にとっての安心の源は居場所なんだと思う。

家族は正常、仲もいい、バイト先は先輩や社員、社長もよくしてくれて仲も良く、客から愛されたくさん友人も来てくれる。よく行くお店には顔を覚えられ店員やオーナーと気さくに話せる。そして今の僕は決して少なくない数の友人がいると思う。彼女は先日別れた。

だがまだ足りない。もっとたくさんの居場所が欲しいのだと思う。

多分こう居場所に執着するのは高校生の時の出来事があったからだろう。

 高校ではこれといったグループに所属できず、かといっていじめられるということもなくフワフワとしていた、全クラスに自由に行き来もしていたがしかし周りから見たら空気を読まないイキリ陰キャであっただろう。昼食はいつもとなりでオウム真理教の歌を歌う男がついていた。

卒業間近に僕の知られたくないことが同級生に露呈し、見事にどこにもいけなくなった。

連絡先も無言でブロックされ、すれ違いざまに蹴られ、『お前は人として軽蔑するけど友達としては接するよ』と言ってくれた人もいたがそんなのこっちから願い下げだ

地元には何も知らない友人がいたが、僕がいないうちにコミュニティーは完成しており、どのグループでも僕は補欠、いの一番に僕を読んでくれる人間は居なかった。

だから僕は居場所に固執してしまうのだろう。

 今の僕にとって居場所は領土のようなものかもしれない。だからどんどん自分の領土を広げたい、たくさんの人と知り合い仲良くなり、奪おうとする人間が大嫌いで、いつ一部を失ってもいいように領土を広げ続けたい。

サークル、お店等の空間は基本的に居場所の奪い合いというものはないと考える。気を使わないといけないのは仲のいい友人グループだと思う、僕が入ることで誰かの居場所を奪わないように

マァ僕は他人より自分が大好きだから自分のためなら他人の居場所を奪うけどね!!!!!!!!